_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

三・一一の大震災を検証する  平成二十三年六月下旬      塚本三郎

学者ではない私が、原子力発電の問題を論ずることは素人としての意見である。

また、政界の第一線を退いて二十年近くなり、老いた私が現政権の対応を批判することも、犬の遠吠えでしかない。

それでも黙視することが出来ないから、遠吠えの小論を綴る次第である。

幸い、日本は情報の洪水と言われる程の、「真・偽取り混ぜての情報」にはこと欠かない。よって、大まかに、想定外の大震災の三ヶ月後を振り返って検証してみる。

一.初動の失政が致命傷を招いた

 中部電力の浜岡原子力発電所が、菅首相の思い付きの要請に因って、中断させられた。地震発生の想定は、三十年間のうちに、87%の可能性を示したからと云われる。

その時、同じ想定では、東京電力福島の可能性は0%だった。それでも、過去に起きた最大の耐震予防措置の下で招いた大災害であった。菅政権の今回の浜岡に対する措置は、他にも波及し原発に対する不安の増大を煽りはしないか。

 責められるべきは、地震発生と原発損傷に対処する「東電と菅政権」の、初動に対する失政である。その点は多くの報道が示している。

 損傷した発電所は、既に約四十年前の建設で、老朽化して危険性を含んでおり、その発電所は、米国のGE社が製造したものだから、事態を知り尽くしているのは米国である。

米国は、原子力発電は、米国海軍が多くを使用している。原子力空母、原子力潜水艦は、軍艦として、戦闘の第一線に出る。それは結果として敵方の攻撃目標とされる。従って、損傷は在り得るだけではなく、当たり前のこととしている。だから原子力発電の損傷は、当然あり得ることで、対応は、可能な限り訓練を重ねているのが米国である。

 東京電力福島発電所の事故を知った米国は、発生直後に、自分達の事故として救急支援の申し出が在った。

 東京電力と菅政権は、米国の申し出での返事を検討した一日後に、断ってしまった。ことの重大性を悟らなかったのか、他に不吉な情報が漏れることを恐れてなのか。

その後、自分達では対応できなくなり困り果てて、約一週間後、米国に支援を求めた。既に事故は最悪の結果を招いたからだとみる。

 殆んどのマスコミは、原発事故は天災ではなく人災だと評論しているのはそのためだ。

二.日本国内及び全世界からの救援の数々

 連日、東北三県(岩手、宮城、福島)に対する国内からの義援金は、空前と呼ぶ程に寄せられている。多いのは、億円単位で、少ないのは、百円単位で、企業は勿論、各団体や個人からの温かい義援の心は、新聞紙上では、その氏名を書き尽くせない程沢山の金額で、二千五百億円を超えている。

日本国民各自が被災者となったつもりであろう。被災者の痛みを共有する日本人。

被災者に対する救援の温かい金は、全世界もまた態度をもって報いてくれつつある。

米国の「オトモダチ」作戦は、単に金銭だけではない。また台湾をはじめ、世界各国からの義援金は、日頃から日本から送り続けている「ODAに報いる真心」そのものを、態度と金額によって示して下さっている。支援の額と態度に、日本は決して孤立していない、特に米軍の支援は、日米共同軍事作戦と見られる程に、自衛隊の先頭に立って、支援に協力してくれている。仙台空港の修復、利用を可能にしたのは、米空軍であった。

三.自衛隊、消防、警察、地方公務員の献身

 被災地住民は極限の窮乏生活に対しても、道徳心と倫理観を失わず、見事に生き抜いて居られ、その秩序と正義観は、全世界の人々に驚嘆の眼で受け止められている。

信じられない程の自己犠牲の下で秩序を維持している被災者。それに対応するかの如く、第一線で働く東電職員は勿論、自衛隊員、消防署員、警察署員、地方公務員等の献身的な活躍は、既に報じ尽くされており、その姿に対して日本人は誇りに思っている。

 とりわけ、自衛隊に対しては、否定的立場に在り続けた民主党菅直人政権下で、敵の如く扱われ勝ちな自衛隊員は、本命の防衛力そのものではない、災害の救援活動であった。それにも拘らず災害救援以上の活動を果しつつある。

 自衛隊が災害対策部隊の仕事が本命ならば、これ程の活躍は出来なかったであろう。 

 自衛隊が国防軍として、国土防衛と住民保護の第一線部隊として、平和維持に身命を賭しての訓練を重ねて来た。日頃の大和魂が、今日その本務を立派に果して来ている。

 日頃から防衛省の予算を削除するばかりではなく、彼等に対して「暴力集団視」している民主党政権の幹部は、改めて自衛隊員に陳謝すべきだとの識者の叫びに、同感の意を表したい。それが、日本の平和と安全を益々強固にせしめることになる。

 勿論、民主党政権の欠陥を指摘するとしても、政権には憲法という足枷が、彼等をして身動き出来なくさせている。それをしも追求すれば、「現憲法維持」の人々を多く抱えている政党だから、改正の足枷となっており、その禍が菅政権自らを縛り続けていると云うべきか。――この際、民主党はその点改めて、現憲法改正を力説すべきである。

四.エネルギー政策は、日本国家の生命線

 日本人は製造業に生きる民族でもある。自動車、家電製品は勿論のこと、他国から原材料を購入し、それを生活必需品として加工し、自給自足し、更に輸出を重ねて経済大国日本を育て上げて今日に至っている。そのすべては、電力に頼る製造工業である。まして通信、鉄道もまた、電力に頼らざるを得ないのが、今日の日本産業である。

 一九五四年、中曽根康弘元首相が「原子力平和利用」をうたい、原子力開発の関連予算を初めて提出し成立させた。――保守合同で自民党が誕生した五五年には、原子力基本法が成立、その後の自民党の原発政策につながっている。

 七四年には、田中角栄内閣の下で、原発などの立地を促す目的で、自治体に交付金を支出する、電源三法交付金制度がつくられ、各地に原子炉を建設する原動力となった。

そして今日では、既に五十四基が設立され、稼動し、一部は修理休止している。

 火力発電では多くのCO2が発生する。それを抑止するためには、火力を避けて原子力への動きが世界の発電の主流であった。今回の福島の原子力発電の損傷は、日本のみならず、全世界の原子力発電への期待に致命的とも云えるストップがかけられた。

 原子力が巨大なエネルギーであることは周知である。その危険もまた、広島、長崎の原爆で、日本人がその力の長所と欠点を、被害国となって一番良く承知し体験している。

 エネルギーの最大の力は原子力と云われる。大きな力は「益と損」ともに巨大である。

 太陽の力に匹敵するこのエネルギーを活用しない手はない。それは近代科学を目指す者の希望である。だが、その対策即ち、活用と、使用後の最終結末の廃棄物は、永久に残りはしないか。捨て難い宝物は、永久に抱え込んで良いものか?全人類の課題となった。

 菅首相は、クリーンエネルギーとして、自然の力の活用を思い付きで云い出した。

 元より、これが開発を急ぐべきは当然である。しかし、直ちに、原発と引き替えの発言をすることは単なる思い付きにみえる。まずは原発の存を充分議論すべきである。

五.菅首相の人災ではないか

 原発損傷の報道によって最初に、災害対策本部を設置し、その中に自民党の中堅クラスを何名か入れて欲しいと、谷垣自民党総裁から申し入れたが民主党は聞き入れなかった。

その後、自分達だけではどうにもならなくなって、困り果てて菅首相はやっと自民党との大連立を持ち出した。

 理念や政策が違う民主党と自民党が、同じ舵を握って目的を達することが出来るのか。菅首相は連立を拒否した谷垣総裁に対して「責任を分担してくれないのか」と云ったそうだ。全責任は総理大臣にある。責任を分担してくれないのかは、飽くまで、責任逃れの姿勢とみられる。

 菅首相は、すべてを、誰かと「責任を共有」するとして、言い逃れを先に考えている。

 災害対策基本法に基づいて設置される中央防災委員会は、菅首相が会長で、各大臣が委員であるが活用されていない。

 事件発生直後に自分のトモダチ達を集めて、多くの各種委員会を作って議論ばかりを重ねても結論さえ出されない。委員会の数は十個にもなったと云う。

菅首相の逃げの言動が、各官僚の言葉の端々にも漏れて出るから、初動の失敗の根本が明確にならない。そのことが、今後の対策に役立てようにも、掴み処が無いから、国会の論争は、何時までも事故当初の、細かい言動の論争に終始している。

東日本大震災や、東京電力福島第一原発事故への菅首相の対応はあまりに稚拙だ。自らのお膝元である東北地方の危機を目の当たりにし「黙っているわけにはいかない」との思いを強めた民主党元代表の小沢一郎氏は、「原発の状況はますます悪くなっている。今動かなければ、皆さんは今の政治にかかわった政治家として将来非難されることになる」と云って、自民党などが提案した菅内閣不信任案に賛成するとの言を述べた。

六月一日、自民党および他の野党が共同で菅内閣不信任案を提出した。

その姿を見た国民は、大切な事故の処理の根本を捨てて、いつまで政争に明け暮れているのかと、与野党の国会議員に対し怒りの気持ちである。

民主党内で、反政府側と云われる人々が、小沢氏を中心に、一日の夜集まった。その数七十名を超えた。大勢は、菅首相辞任に向かった。同時に鳩山前首相が、このまま不信任案が採決されれば民主党は分裂するから、首相は潔く首相を辞任すべきだ、と説いたが断られた。鳩山前首相は、民主党の分裂を恐れての説得であったが、あっさりと断られた。このことによって、一日夜、鳩山氏は改めて不信任案賛成の意思を表明した。

六月二日の朝刊は、「菅内閣不信任案成立の可能性が大」の見出しであった。事態に驚いた菅首相は、鳩山氏と再び会談して、近々に首相を辞任すると言わざるを得なくなった。そして、双方の約束と共に、二日の衆議院本会議前に、民主党国会議員の前で、一定のメドを付けて若者に地位を譲ることを公約した。ならば一体、いつ辞めるのか、ゴタゴタは更に続く、前首相の鳩山氏が現首相を評して「ペテン師まがい」と、評した。

菅首相がその地位にシガミツク姿に、民主党幹部さえ、早期辞任を迫らざるを得なくなった。自業自得と云うべきだ。


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