三日目 228記念館 

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 228記念館の構成は、日本統治時代の近代化ではじまり、第二次世界大戦
大戦後中華民国の統治。大陸からきた国民党と内省人との間で生じる軋轢。
「専売制度とヤミ煙草の取締による衝突」から「228事件」の全容を紹介・展示を
常設し、地下が特別展示室となっている。
 この日、蕭錦文先生による説明はある意味「高度な大人」を思われるものであ
った。
 日本国内では、台湾を「植民地」という表現は適切としない考えがある。
台湾は国土と見なしているからで、台湾人は日本人と同胞としている。しかし、
台湾において日本統治時代は蕭錦文先生も植民地と表現する。これは、日本
統治初期と日本の敗戦により台湾放棄(せざるをえなかった)の歴史を考えれ
ば、台湾人にとって「植民地」となるのも理解できる。
 蕭錦文先生は、日本統治初期の日本人と台湾人の差別や格差は、植民地だ
から仕方ないものとしたうえで、差別を無くすために努力した台湾人、またそれ
に応えた日本人とその後の日本の政策が、欧米の植民地政策と異にしている
ことを基本として、台日の関係を紹介する。例えば、日本の新潟がまだ電気が
十分に整備されていないうちに台湾に発電所を作ったことなどを紹介。事実、植
民地はそこでの搾取が目的だが、日本は、日本国内の税収で台湾(満州や朝
鮮も)を開発している。
 ただ、私達が注意しなければならないのは、当時の日本人はそれだけ台湾人
に愛されたのはたしかだが、台湾人の立場になった場合、支配者と被支配者の
関係が続き、その中で例外的に日本の貢献度が高かったとしてもナショナリズ
ムで考えた場合、その上下関係は、少なからず不快な部分はあるものである。
 今日の台湾の「親日感」は、蕭錦文先生のような「付き合い方の高度な感性」
があってこそ、存在することを実感するものであった。

228記念館玄関ホール。手形は開館時の関係責任者のもの。
一番右が、当時台北市長の陳水扁氏の手形

最初の展示室、日本統治前期のもので228とは関係ないが、ここからはじめて方が分りやすいことから、
追加展示されたらしい。蕭錦文先生自身、弾圧を受けた経験を持ち、左の写真は、彼と家族の名誉回
復証。発行者は陳水扁とあることから最近のことにようだ。

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日本統治時代の近代化から戦時中、終戦までのコーナー、台湾から見た大東亜戦争が表現されている。

日本の台湾放棄により遠く遡る同胞を受け入れた。
当時、歓迎ムードであったが、国旗が裏側になって
いる。これは大陸側への認識があまりなかった表れ。

台北での228事件発端を説明

228事件の流れを表記

虐殺(屠殺)の様子を描いたもの。
掌に針金を通し発砲して川に落とす。
この内一人が奇跡的に生存した。
左側がこのときの生存者

当時、ここが放送局であったことを示す展示

 228の爪痕、台湾人の悲哀。228にまつわるその
背景とここまで来れた流れと願い。その先にある未
来への取り組みの模索。大陸支配が残した複雑な
政情に新たな、大陸の脅威に直面する台湾の礎が
この記念館で覗える。










これより自由時間。ある人は故宮博物館へ、またある
人は野柳海岸へ。そして夜は、
蔡焜燦先生を囲ん
での夕食会と向かうことに

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