21世紀経済懇話会リポート   平成20年5月20日(火)全日空ホテルグランコート名古屋

 塚本三郎元民社党委員長の呼びかけで定期的に行なわれる勉強会に参加しました。
今回は、旧竹田宮家竹田恒泰氏が招かれ御講演をいただいたきその様子を紹介させていただきます。
                     
 壇上に立たれ挨拶をされる塚本先生は、戦争直前から終戦に掛けての日本国総理大臣について
総辞職を決意した近衛内閣が、戦争を回避するために選んだ後継が、東久邇稔彦王。東条英機も
親王を推薦したが木戸内大臣が、反対した。そこで東条英機が首相となった。東條もまた、戦争回
避の命を受け就任したが、米国は和平に向けた交渉に耳を貸さず、ついに戦争に突入。敗戦を迎え
東久邇首相が誕生し、敗戦処理にあたった。
敗戦の責任を背負った、東條。敗戦後、矛を収めることに奔走した皇族。当時の事情が、事細かに
竹田恒泰氏の著書『語られなかった皇室の真実』に記されている、と語られた。
また、塚本先生は、議員になって住んだ所が、旧竹田宮家の召使の部屋だったそうである。
ご挨拶される塚本先生
東宮バッシングへの憂慮  羽毛田宮内庁長官が記者会見で皇太子ご夫妻へ「苦言」を口にしたことから端を発し、特に男性誌による
皇太子ご夫妻へのバッシングが行なわれるようになった。なかでも月刊「WiLL」では、保守派の重鎮である西尾幹二氏は、誌面上で
「皇太子は国民に謝罪せよ」とまで言及した。共産党でも言わないような過激な発言に呼応するかのように、西尾氏に同調する投稿が
相次ぎ、WiLL編集部へ反対投稿が掲載されていないことを指摘したところ、花田編集長によれば、反論が一件も無いとのことであった。
次回、この記事に対する反論のスペースを作ってもらったが、その間でも、女性誌は擁護する立場をとるものの、保守系男性誌のなかで
この記事に反論する記事は一件も無かった。ここに保守派の鬱憤ともいえる心理が並々ならぬところまで来ていると感じた。
              
英国王室を例に
  この現象を竹田氏は「集団ヒステリー」と呼んだ。かつてダイアナさんが亡くなられたときに英国女王はバッキンガム宮
殿に半旗を掲げ、哀悼の言葉を述べられることを国民が要望したが、それに応えなかった事に、8割の国民が「王室不要」を言い出した。
しかし、宮殿の国旗は、女王がいるときに掲げ不在時には掲げない。未だ、誰が亡くなっても歴史的に半旗を掲げたことが無く、既に王室
を離れたダイアナさんに対し半旗を掲げることは、伝統上困難であり、「哀悼の意」もまた同様に王室から離れた人に対し行なえば、今後
どこまでを述べるのかが問題となってくる。女王は、伝統的な王室の立場をとったまでのことであるが、国民はそうとは受け取らず、この事
態にブレア首相が、女王を説得し、哀悼の意を述べて収拾がついた。今日の東宮バッシングは、このような「集団ヒステリー」状態にある。
              
天皇と皇太子は全く違う 宮内庁長官が記者会見で苦言を述べるということ自体が異常である。天皇のお立場なら苦言を述べられるなら、
長官を使わずとも、直接呼ぶことができる。三笠宮殿下は、皇太子殿下に対し直接、皇族のあり方等「苦言」を述べられているが、記者会
見などでは、そのようなことはされない。そもそも、天皇と皇太子を簡単に比較するべきではない。三種の神器を受けたのが天皇、受けて
いないのが皇太子。大嘗祭を経たのが、天皇、受けていないのが皇太子。天皇とは憲法上では象徴であっても霊的な存在であり宗教的
存在である。今上天皇もまた先帝から比較されたが、継承後、立派な天皇となっておられる。その人が(人格が)どうのこうのという問題で
はない。皇太子殿下も同様で継承されれば、立派になられる。バッシングをして皇室、国民、誰も益することは無い。静かにお見守りするこ
とが大切である。
                      
万世一系の伝統を考える 皇室は2600年の歴史を誇る、世界最古の王朝である。どんなに短く計算しても1800年は続いている。「古けれ
ば、良いのか?」という人もいるだろうが、古ければ良いのである。歴史があるということは、文化的にもそれだけ練られてきている。
例えば、言葉。万葉集は中学生が読むことができる。言語が引き継がれるところに皇室の存在がある。英語を例に“This is a Pen”この「a」
は、何か。元は「an」であり、更には「one」であったという。日本語も「空気を読む」を「KY」というようだが、言語は次第に略されて、原型が
失われていくもの。まして万葉集の時代には英語が存在していない。古い文献を読むには英語では、当時の言語に訳さねばならない。
日本語の歴史は、皇室により守られ発展してきた。これは、料理や音楽も同様で、その奥深さは歴史の長さで練られてきたものである。
                  
男系でこそ天皇である  仮に愛子様が天皇となられてもその子が天皇になるということは歴史上ない。今日までに8名の女性天皇が存在
しているが、男子がいなかったということではなく、どの男子にするか、その調整が必要であったからである。男系だからこそ、父方を辿れ
ば間違いなく神武天皇に繋がる。女系になるとその点が明白でなくなり、女系になった時点で「天皇」ではなくなる。
何故、苦労してでも、男系を護ってきたのか?それは、理屈の世界ではなく、歴史的に護ってきたこと自体に価値があるものである。
 竹田氏による講演の後、塚本先生との対談が行なわれた。
                   
塚本氏:雅子妃の体調がすぐれないことは、如何ともし難いが、それにしても、公務をキャンセル
して私的な行動をされたのは、国民からの反発は必至であることは考えられたと思うが。
      
竹田氏:スケジュールが全て侍従医に伝わっているとは限らない。医者の立場から体調に合わせ
た行動の結果とも考えられる。
     
塚本氏:皇后様の生家である正田家は、美智子様が嫁がれた後は、皇室に迷惑が掛からない
ように自重した行動をされたが、小和田氏の場合、退官後、国連大使になったりしている。
これは問題であると思う。
対談中の塚本・竹田両氏
 この日の講師、竹田恒泰氏は、まず、「旧皇族」という言葉が、消え
つつあるなかで、近年、再び脚光を浴びるようになった背景が、小泉
内閣当時の「皇室典範改定」にあったことをあげ、竹田宮家の成り立
ちから、祖父の時代までの宮家、父の時代の宮家から民間。自身の
民間人の時代から入った。
 子供の頃の竹田氏は、歴史を読むと自身の系統がいたるところで
登場し、他人事ではなく、まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の如く
ワクワクしながら読んだという。
 宮家の時代、竹田宮家は、現在のグランドプリンス高輪のある場所
が住まいで、新高輪が北白川、パシフィックは東久邇といった宮家の
居住地であった。竹田家で侍従が50名いたとされ、現在の東宮で58
人であることを考えるとその規模の大きさが覗える。
竹田恒泰(たけだ・つねやす)
    
   

昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる
明治天皇の玄孫にあたる。平成10年
慶應義塾大学法学部卒業。憲法学・史
学の研究に従事。作家。慶応義塾大学
研究科講師。「特殊憲法学」を担当。
平成18年に著書『語られなかった皇族
たちの真実』で第15回山本七平賞受賞
他の著書に
『旧皇族が語る天皇の日本史』

『エコマインド〜環境の教科書』
『皇室へのソボクなギモン』等。
竹田氏:正田家は経営者で小和田氏は役人という立場の違いがあるが、雅子様を皇室へ嫁がせたなら、退任後は、公の舞台に出ない
方が望ましい。
     
塚本氏:いわゆる富田メモであるが、あの内容は、調べた上でも昭和天皇のお気持ちとは合致しない。
   
竹田氏:昭和天皇が靖国へ御親拝されなくなったのは、A級戦犯合祀が直接の原因とは考え難い。配慮はあっただろうが、代わりに天皇
の勅使を向かわせておられる。 勅使は行幸と同じ作法で、御親拝と同格ではないにせよ、ほぼ等しい。総理大臣より上である。
したがって、富田メモにあるような思いは、無かったと考える方が自然である。

                                                      以上  報告者 渡辺裕一